有限会社ヤマト染芸




名古屋帯【山吹の里】
           
山本遊幾作

太田道灌紅皿の伝説

 道灌が、ある日近郊へ鷹狩りに出かけた。その最中に俄か雨にあい、とある里の粗末な農家に立ち寄って蓑を貸して欲しいと頼んだところ、出てきたその家の少女は、庭に咲いていた山吹の一枝を黙って捧げた。道灌は、訳が分かわからぬまま、不快の思いで雨の中を帰館した。その夜、道灌がこのことを老臣に語ると、彼は「後拾遺集醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれた詩に

 『七重八重 花は咲けども山吹の

   みのひと つだに なきぞかなしき


という和歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを実のならない山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
 驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったそうです。

 この道灌ゆかりの伝説の地として、東京都豊島区高田の面影橋のたもとに「山吹の里」碑が立っております。この道灌ゆかりの地は埼玉県越谷市とする説もあるようです。
 高田の説には続きがあり、道灌はこの少女「紅皿」を江戸城に呼んで和歌の友とし、道灌の無念の死を遂げた後、紅皿は新宿区大久保に庵を建てて尼となり、その紅皿の碑 も残っています。

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